ラッキーに関連した、偶然は存在するか、
という問いについて、
ある2冊の本を比較すると面白かったので共有します。
1冊は、原因と結果の法則、もう一冊は、たまたま。
原因と結果の法則
原因と結果の法則は、原題は As a man Thinketh。直訳すると、人は考えた通りの人になる。
1902年にジェームス・アレンが記し、自己啓発書の原本とも言われる書で、
話によるとキリスト教圏では聖書の次に読まれている本、と言われているようです。
よく知られているのは、この緑色の印象的な表紙。
ただ今回はの紹介は、ワイン色の表紙の新訳版が出ていて、
これは文庫版。
これが出版されていたことに気づいたので、何が変わったか、読んでみました。
たまたま
もう一冊の たまたま は、副題は、日常に潜む偶然を科学する。
原題はthe drunkard’s walk.
著者のレナード・ムロディナウは大学の物理学者で、
ランダムネス、言い換えると、
法則がなく予想できない事象について
講義しているそうです。
2009年の本なのですが、少し気になって最近読み返しました。
両書の比較
「原因と結果の法則」の主張は、極々簡単に言えば、
良い準備と良い行動が良い結果を生む。
逆をすると悪い結果。
人生には(因果があるので)偶然という要素はひとつもない
というものです。
今となっては、
世間の共通認識と言ってもいいような教えですが、
当たり前と思うことこそ絶対的に正解なのか、
100年経っても100%通用するか、
一度は疑ってもいいかもしれない、
とも考えています。
「たまたま」の内容は、
世の中で必然と思われる事象も
実証データや確率論をもとに、
多くは偶然の産物に過ぎない、
という原因と結果の法則に反対する主張で、
検証してみたくなりますね。
偶然はあるのか?
「たまたま」では偶然があるかの、
例の一つとして、
アメリカ大リーグの英雄ベーブルースの記録を破って
大衆から怒りを買った
大リーグのホームラン王の話がありました。
ベーブルースはこんな人。
アメリカでは野球を越えた、
誰からも愛される伝説の聖人扱いなので、
この人の記録を破る選手は、同様に、
聖人君子でければとんでもない、
認めてあげない、
という空気があったそうです。
そこに、(ベーブルースと比べれば)大した実績もない、
ぶっきらぼうな、人受けしない
ロジャー・マリスという選手が現れました。
いつもは年間40本ほどしかホームランを打てないのに、
その1961年シーズンに限って
ベーブルースを超える
シーズン61本のホームラン記録を達成し、
ホームラン王になったものの、なぜか大ブーイングが起き、
これまでのシーズンも、これ以降も
ホームラン王になっていないなど、
それほど成績が残せなかったことも災いになって、
ファンからも、マスコミからも
批判を浴び続けたとのことです。
で、話の本題は、この悲しいホームラン記録は、
町で同じ服を着ている人を見かけるのとおなじように、
偶然の産物だったのか、否かということです。
実証結果
詳細は本を読んでもらうしかないのですが、
たまたま、という事は本当にあって、
通常起きることは、平均回帰=平均に落ち着く。
つまり、
たまたまいい成績があったり悪い時もあるが、
やっぱり長い目で見ると平均に落ち着くらしい。
株などの投資を行っている人には
おなじみの理論が役に立ちます。
こういったことを元に、
たまたまいい成績を残す、ということがあるのか?
という実証計算をしたところ、
大リーグ70年ほどの打者データを分析すると、
ルイスくらいの年間40本ホームランを打てる打者一人が、
ランダム性が上がって、
60本以上のホームランを打てる可能性は50%を上回るらしいです。
つまり可能性は決して低くない。
要するに、そこそこの成績をあげている実力があるなら、
記録更新は不思議ではない、ということになります。
結論として、ラッキーでホームラン王になれることはある、
ということになります。
確率と人間の思考
上記のように書くと、
原因と結果の法則を信じて疑わない人からは
猛反発を食らうことは容易に考えられます。
偶然はないと信じる、原因と結果の法則派は、
偶然、つまり努力も何にもなしで成功することはありえない、
と解釈するので、
努力を否定しているわけではないのに、
否定された気になって逆上してしまいそう。
では、確率、統計とは何か?ですが、
これは数学的には最も新しい分野で、
賭博の予想から始まり、いうまでもなく
今の生活の予想、AIなどに欠かせないものとなっています。
そもそも成立時点から確率と人の思考は折り合いが悪く、
時には確率に嫌悪感を持つこともあります。
「そんな偶然を計算で予想できるのか?
でも、そんな結果気に入らない」
「1万人に一人という病気は他人事だが、
本人がその病気になった場合は確率なんか関係ない」
というような、確率と期待値を混同していることも多いですから。
実際、確率を計算しようとすると、
2つの箱に蜘蛛がどれくらい入っているか
それを確率で表そうとすれば
その場合の数(分母)を考えるだけでも大変ですし、
感覚と違う結果になることも多いです。
まあ、必要に迫られなければ、
考えるだけでもめんどくさいと思う人がほとんどですよね。
2つの主張を重ねてみる
確率論は、まあそれとして、
私は、偶然がある、の方が魅力的に感じますが、
昔からの常識も大切にしたい。
では、偶然があるかないか、
「原因と結果の法則」と「たまたま」の、
この2つの主張をどちらも信じたい場合どう解釈すればいいか?
凝り固まった思い込みを崩したい場合、
どうしたらいいでしょう?
そう、抽象度を上げて考えればいいんです。
記録を出すためにはどうすればいいか?
と、少し抽象度を上げて考えると、
原因と結果の法則派は
ホームランを打ち続ける実力をつけるため
ひたすら努力する。
たまたま派は
ある程度の平均以上の実力をつけて、
ランダム性が上がるタイミングを待つ。
ということになるのではないでしょうか?
原因と結果の法則派には
データがあるという理由で、
偶然がちょっとはあると譲歩してもらえれば、
どちらにしても、
実力をつける努力は必要、
ということになります。
ルイスにしても、
40本のホームランを打ち続けるためには
プロの大リーグで常に出場する実力はあり、
一般人以上の努力は続けていたに違いないですから、
単に運が良かっただけ、と責めるのはお門違いですね。
結論
ラッキーはいつ来るか分からないが、そのための準備、平均を上げる。
努力はしている、というのは、
原因と結果の法則でいう、
良い準備もよい行動もしている状態
と考えてもいいと思います。
ベーブルースのような平均値が高い、
神格化されるような人でも、
当然努力はしていたでしょうが、
毎年自身の記録を破っていたわけではない。
偉大な人でも、振れ幅が小さいというだけで
記録更新するには、
たまたまの力も影響しているとも考えられます。
まとめとして、偶然はあるかないか、という問いには
「偶然はある、ただし、
絶対に達成したい記録があれば自分の実力、平均を上げることに集中する。
偶然/ラッキーがあれば、その道半ばでも達成することがある。
そのこのラッキーが出る確率も絶望的なほど低いものではない」
と答えていいと思います。
抽象度をあげるということ
ジェームスアレンも、ラッキーも否定せず、
どちらも尊重できる解釈をしてみましたがいかがでしょうか?
新しい知識を取り入れることが、
以前の知識を全否定する必要があるかないか、
と考えたとき、今回のように
抽象度を上げて、
知識の上に知識を重ね、少しだけ譲歩すれば、
あっけなく解決できることもある、
と思います。
問題は、少しだけの譲歩ができるか否か。
ケースバイケースですが、実生活でもこのことを意識しながら本を読んでいきたい
と思っています。
こういう主張が違うように思える本の読み方も面白いので試してみてください。