書評 魔将軍 岡田秀文 くじ引き将軍足利義教と運を考えてみる

書評・番組紹介

運というか、くじ運を考えるうえで、
室町幕府6代将軍、
足利義教(あしかがよしのり)の話は絶対外せません。
何故かといえば
彼はくじ引きで将軍になった男だったからです。

今回はこの話題です。

足利義教(あしかがよしのり)

ところで、この足利義教(あしかがよしのり)って人、知っていますか?

結構マイナーで、あまり人気のある人物でもないですし、
少し調べると、くじ引きで将軍になった
と揶揄されて扱われることが多いです。
肖像画も弱々しい感じ。

まあ、どんな立派な業績を残しても、
当時の抵抗勢力が政権を取って代わった場合、
先代が気に入らなければ
どれだけ情けなかったかということを伝える意味で、
こんな弱々しそうな絵を残させるというのは歴史の常道ですから、
そんな感じなのでしょう。

私は彼の業績をや人となりを調べると、
もっと評価されてもいい人物と、個人的には思っています。

もう少し詳しく調べると結構な剛腕をふるっていて、
呼ばれた愛称?が、そう、

魔王とか魔将軍とか。


魔将軍 くじ引き将軍・足利義教の生涯
岡田秀文著 双葉文庫

で描かれていますし、

逆説の日本史 7 中世王権編にも出てきます。

これから100年後に活躍する、
この評判の悪さを引き継いだ、
織田信長のロールモデルとも思える大人物です。
私はどちらも大好きですが。

業績

後の歴史からの評判の悪さとは裏腹に、
実務を重んじた仕事をしていて、
旧態依然とした勢力の排除に取り組み
戦乱の世に戻さないため、
弱体化しつつあった足利幕府、
北山文化を再度確立した実績を持ちます。

もともと、3代将軍義満の5男、
本当なら将軍になるはずではなかったようで、
生まれてすぐに出家させられています。

前の将軍が次期将軍を決めずに亡くなったので、
次の将軍を誰にしようか話し合ったところ、
決着がつかず、では源氏一門の氏神様、

石清水八幡宮の神様に伺ってみよう!

ということで、くじ引きが行われ、将軍になりました。

僧侶になったとはいっても、
僧侶としてのトップの天台座主
なれるくらいの優秀な人なので、
くじ引き自体出来レースで、
単なる口実として使われた、
という話もあります。

そんなくじ引きで決まった将軍は、
最期は部下に暗殺されたことで
くじで決まったのだから、そんなもの、
という論評が多いのは気になるところ。

よく比較される信長も暗殺されていて、
これも義教と同様に抵抗勢力の力が高まって
最期を迎えただけ、と思えるので、
くじ引きがそんな悪いことだったのか?

と考えてしまいます。

古来からのくじ引きとは

そもそも、くじ引きとは何かというと、
古くから、神の意思を問うための神事。
今みたいに、100円納めて引くおみくじとは、
当然重みが違います。

天皇は「天に代わって政治を行う」と考えられていたので、
朝廷としても天の運行や神々の働きを読み取ることは重大事項。

平安時代、占いを行うのは立派な国家公務員の仕事で、
卜占などの占いを、民間が勝手に行うことは禁止事項。

天皇家の権威が失墜していたこの室町期でさえも、
こういった信仰が続いていてもふしぎではありません。
現在でも、「くじ引き」、「神事」で検索すると
お祭りなどの役を決める時に使われていることもあるようです。

 

そもそも、今と同じ感覚だったら、
くじ引きで将軍(総理大臣)を決めます、
という空気にさえならないでしょう。

ということで、背景に何があったかは
うかがい知ることもできませんが、たまたま、
くじ引きのおかげで将軍になってしまったのではなく、

天の神の後ろ盾を持って将軍になった

と考えれば、おのずと強気になれます。

精神状態を考えると、俺様状態になり、
頭もいいので、
最新の考えも入れていい世の中にしていくぞ、
と考えたところで無理からぬこと。

この場合、神の後押しという自分なりの根拠はあり、
自信たっぷり
かなりエフィカシーが高い状態
将軍をやっていたと推察できます。

運とは

ところで、 を広辞苑で調べると、
どう書いてあるでしょうか?

運とは、天運の事とあります。

つまり

天が与えてくれた良き事

です。これが日本古来の運の捉え方とすれば、
現在の“たかがくじ引き”、とは
ちょっと違う世界があります。

 

西洋でいうラッキー/Luckの

何の努力もしないで得た幸運、

とは違った立場で見ないと
当時をうかがい知ることは出来ないでしょう。

 

ちなみに、史上唯一とのことですが、
「明治」という元号は天皇自らが
抽籤くじを引き、決まったそうです。
平成とか令和は、
多分くじ引きではないでしょうね。

明治期が日本にとって良かったか否かは
結論付けられませんが、
運で決まった明治の元号には
天運がついていたのでは
と考えてもいいのかもしれません。

こういった背景もあり、日本で育てば、
単なる運も天運と解釈する素養はあります。

運との向き合い方

運のいい事柄に遭遇した時に

たまたま運が良かっただけ、ホントの実力ではない、

と揶揄するのでなく、

天が味方したのかもね

ありがとうございます

と考えたほうが楽しいです。

 

どうせ何も証明できないのだから、
運の根拠を見つけることに留まって
その探求に時間をかけることはもったいないので、
結果は結果としてとらえ、
さらなるゴールに向かっていくことが
運と付き合うあるべき姿勢なのかな、

と思います。

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