今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
私の家は、笑い声に満ちている。
こどもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
Today is a very good day to die.
Every living thing is in a harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.
こんにちは
今回はいきなり詩で始めてみました。
これは、詩集、今日は死ぬのにもってこいの日
に書かれている一節です。
著者ナンシーウッドがネイティブアメリカンと触れ合い
編まれた、詩集というか叙事詩で、この原題はMany winters。
邦題と全然違う。マーケティング大成功ですね。
版は1999年で22刷なので、かなり売れた本なのでしょう。
購入当時は、ネイティブアメリカンの
思想とか歴史のブームがあって、
結構な量の書籍が出たり、
雑誌で特集していました。
そんな中で、
このインパクトのあるタイトルの詩集が紹介されていて、
つい、手に入れた本です。
詩の書評というのも変ですが、
ただの分類なので、感想と受け取って下さい。
なので、このタイトルが
記憶にある方もいるかもしれませんね。
こういった本は、先にも後にも縁がなく、
結局、これまでの生涯で唯一持っている詩集です。
何かビビっと来たものがあったのでしょう。
全編に渡って、ネイティブアメリカンの生活、人生や生と死など
その考え方が表されていて、
何度読んでもそのたびに心打つものがあります。
自然崇拝という意味では、
ネイティブアメリカンの精神性と
アジアというか昔の日本人は、とても似ているように思えます。
自然に逆らうのではなく、とりあえず受け入れることから始める。
いわゆる、足るを知る、の感覚です。
会社に入ってまだまだ若手で、
怒られてばかりの私だけでなく、
当時日本はバブルがはじけ、
意気消沈し始めた社会の雰囲気も
多くの人がこの本を手に取った理由かもしれません。
昨日、
かなり久しぶりに読んだのですが、
何箇所かにドックイヤー入れていて、
この時は、この言葉になんか感じたんだろうな、
と思いながら、懐かしんでました。
今読むと、今なりの感情が出てきて、
詩って、読むときの環境で
感じ方も変わるもんだなと思います。
で、冒頭に紹介した詩ですが、
どう感じましたか?
長い詩の中の一節なので、
前後を読まないと雰囲気は伝わりにくいと思いますが、
タイトルになるくらいの詩なので、
紹介に足るかなと思っています。
自殺する前の心境とかでは決してないのですが、
いろいろな解説を見ると、
逆説的な表現が感動を誘うとか、
輪廻転生がどうとか書いてある。
感動はあるけど、本当にそうか?
とずっと釈然としませんでした。
特に最後の一行がYesで始まっていることが気になって、
これは充足した毎日をありのままに感じて、
去っていった人を感じながら
生きることも死ぬこともそんな区別する必要はない、
といっているように感じていました。
実は、何かの企画で、
好きな本の作者に感動を伝えようというのがあって、
私はこの本を選んで、著者に渡してくださいと
出版社に手紙を書いてみました。
特に
この詩のことを、逆説的と解説されてることが多いけど、
どうなの?って感じで、
つたない英語で訊いたと思います。
当時はメールはありましたが、SNSなんてないので、
著者にアクセスするには、こういった方法しかなかったんですね。
しばらくして、見知らぬ人からのメールが。
著者本人からメールでした。
本人曰く、そう感じてくれるなら嬉しい。
私も逆説的、と言われるのは好きじゃない
という返事だったと思います。
その他には、あなたの仕事は地球にやさしいこと?
とかも訊かれていた気がします。
この時は、著者と考えが同じだったと判ったこともありますが、
返事がきただけで感動して満足してしまい、
この後どう返事をすればいいか考えてすぎて、
結局これ以上のやり取りは進めませんでした。
PCも何回か交換しているうちに
このメール自体も消失。
このやり取りを続けなかったことは
人生で悔いが残ることのベスト3に入るくらい
のことです。
今なら、編集の人とか、なりすましも
あったかもしれませんが、
精神性を共にできるような、
当時、白人女性ということくらいしか明確にしてなった人と
もっと仲良くなっていられたかもしれない
と思うと悔やまれます。
今調べてみると2013年には亡くなっていたとのこと。
ご冥福をお祈りします。
今回は
詩の感動と、人生で悔やまれること
について書いてみました。