こんにちは
ちょっと悲劇的な話から。
太平洋戦争末期、世界最大級最強とされた戦艦大和が
戦いに出るため出航しました。
初陣でしたが、その実力を発揮することもなく
出航情報も駄々洩れだった米軍に集中砲火を浴びて撃沈。
悲劇の戦艦ともいわれ、
後に宇宙に飛び出していくことになります。
まあ、宇宙の話はさておいて、
大和やその乗員は何に殺されたのか?
ここに今の日本の組織の閉そく感につながるものがあります。
その正体は、”空気”という説が、
山本七平の「空気の研究」で 展開されます。
ここでは、日本では至る所に最終決定者が
“人ではなく空気”
になっていることに言及しています。
当時日本軍は、
連合国軍に敗色濃厚だったことは、
参加メンバー全員が知っていて
世界最大級の国を挙げての自信作の戦艦大和を
出撃させるかさせないかの御前会議。
出撃反対派は細かいデータを駆使し、
如何に無謀かを説明しても
結局その場の空気が無謀な出撃を決定することになる。
空気の前には皆無力。
尊いとされる犠牲は、空気のせい。
“空気”に合理的判断が負けたということです。
もう一つの例
世界中で車の排ガスによる健康被害が問題になり
窒素酸化物いわゆるNOxがやり玉に挙げられた。
日本でも頑張って環境基準を定めるころには、
世界ではすでにNOxの環境基準の根拠となる
医学論文の信用性がすでになくなっていたが、
日本では、”NOx悪し”の空気に誰も反論できず、
この法律は施行される。
科学的根拠なんて関係なしに突き進む。
結果として、この対応で日本のエンジン技術が
飛躍的に伸びたのは皮肉としか言えませんが、
うーん、大和と全く同じ構図。
戦争で民族を滅ぼし、滅ぼされるを繰り返してきた
日本以外の国ではこういうことはないらしい。
みんなの総意=空気よりも
どう生き残るか、
どう打ち負かすか、攻撃対象に集中する。
戦後に国を再建させるため、優秀な人間は残すもの。
その予備軍である優秀な学生の学徒出陣など、
考えられないそう。
こういった判断ができなくなるのも空気のなせる業か。
こういう歴史背景を持つ日本は、その根幹に
空気がドーンと居座っている感じでしょうか。
コミュニティー内の総意が、
何にもまして優先されるといったような。
なぜこんなことになるかと説明がありますが、
まずは問題の臨在感(神がそこにおられること、という感じ)ができる。
その後、その問題に対して感情移入が起こり、
ここがポイントと思いますが、
この感情を絶対化して感情的ではないと思い込むことで
空気が醸成されていくようです。
簡単に解釈すれば、
「自分は感情で動いてるわけじゃないんだから
どんな理屈にも負けません!
だってみんなもそう思うでしょ」
と、傍から見れば滑稽にしか見えない人で
日本はあふれているということでしょうか?
その人が強いのではなく
そのバックにいる空気が強い。
以前、定年した大先輩からの話ですが、
ご近所づきあいで
理屈とか振り回すと嫌われるから気を付けて
と奥さんにくぎを刺されたそう。
会社よりきつそう、との感想。
この理由が判った気がします。
こういった空気を助長することが
昔からのマスコミの大きな役目。
記録に残っている古いものでは西南戦争前の
西郷隆盛に対するバッシングがある。
西郷隆盛は、当初、市民のあいだで
かなりの人気者らしかったのですが、
喧嘩別れで明治政府から離れます。
西郷には陸軍に大きな影響力があるので、
勝手に野に下られても困る政府は、
新聞を使って大々的なネガティブキャンペーンを張り、
あっという間に維新の英雄から、
天下の極悪人になるという
空気を作ることに大成功。
西南戦争で西郷の排除に成功する下地作りができたそうです。
山本氏いわく、こういった空気の支配が明治期以降
強まってきたことは否めない、とのことなので、
上記のような
技術的に空気を作るすべが広がっているんでしょう。
当然ながら、日本でしか通じないので、
一時よく言われた
ガラパゴス化にも拍車がかかっているんでしょうね。
空気は自然にできるだけでもなく、
人の意思で作ることもできるという例でした。
では、こういった空気に対抗策がなかったかといえば
そうではない。
その対抗措置はズバリ、
“水を差す”
空気に対抗できるのが水なんて、なんか風流。
さすが日本人ですね。
ここで空気の研究は終わり、
この本では、次タイトルの
「水=通常性の研究」に移ります。
水というのは通常性を象徴するもので、
空気にある程度の歯止めをする効果があるようです。
いい感じで話がまとまりかけているときに
水を差す奴、いますよね。
この話の流れから言うと、この嫌われ者は
実は救世主だった
ということになるかもしれません。
大切にしてあげましょう。
お前にはまだわからないだろうけど、
と諭すあなた、
気を付けてください。
きりがないので水の話はまたいつか。
この本を読んだ大分後になりますが、
池井戸潤原作の映画、
空飛ぶタイヤ、とか七つの会議を
見ています。
大企業、下請け企業の醸し出すそれぞれの空気、
この関係性とか、その周りの社会を取り巻く空気。
ステレオタイプと信じたい気持ちもありますが、
それぞれ印象的でとても面白かったです。
妻は原作ファンで、既読。
映画には少し不満だったようなので、
未読の方は原作を読まれた方がいいかも。
(私は読んでませんが)
空気を感じながら読むと
一味違った印象が残るかもしれません。
私の立場から言うと、
組織を見たときに、一つの目的に向かって
一人一人が各自の目的を持ちつつ
業務を遂行していることが健全かなと思います。
そこにはつまらない空気感から来る
忖度はないはずです。
日本ではいい悪いを別にして”空気”の存在は無視できません。
ただ、居心地がいいだけではだめで、
その組織が何のためにあるのか、
目的を忘れないで、
時には水を差すことを考えながら
運営、参加していきたいものです。
今日は日本の組織と”空気”について考察してみました。